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正論を言ったら死んだ:韓非の生涯に学ぶ、「声を殺す組織」と人間心理のメカニズム

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序章:なぜ今、韓非を学ぶのか

遥かなる古代中国に、一人の思想家がおりました。彼の名は韓非(かんぴ)

彼の思想は、後に中国を初めて統一する始皇帝に「この人物に会えるなら死んでも悔いはない」と言わしめるほど、強烈な衝撃を与えました。その著作『韓非子』は2000年以上の時を超え、今なお多くの人々に読み継がれています。

なぜ彼の言葉は、これほど長く人々の心を捉え続けるのでしょうか。 それは、彼の思想が単なる古代の哲学にとどまらず、現代を生きる私たちの組織論や人間関係にも通じる、普遍的な知恵を秘めているからに他なりません。

この物語は、韓非がどのような時代に生まれ、何を学び、そしてなぜ悲劇的な最期を迎えたのか、その生涯をたどる旅です。彼の人生の軌跡を通して、そのあまりにも鋭い思想がどのようにして生まれたのかを、歴史に初めて触れる方にも分かりやすく解き明かしていきましょう。

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1. 滅びゆく国に生まれた王子

韓非が生きたのは、紀元前3世紀頃の中国。後に「戦国七雄」と呼ばれる7つの大国が、互いに領土を奪い合い、覇権を争う激動の時代でした。

彼は、その七雄の一つである「韓」の国の王族として生を受けます。しかし、彼の祖国・韓は、西の大国「秦」と南の大国「楚」という二つの強国に挟まれ、その圧力によって次第に力を失い、戦国の七雄の中で最初に滅びるという宿命を背負っていました。

さらに、韓非は生まれつき言語障害(吃音)があり、人と直接言葉を交わすのが苦手でした。しかし、言葉が思うように出ないという身体的な制約は、逆に彼を内面へと向かわせ、思考を研ぎ澄まし、文章という武器を磨き上げるための、運命的な土壌となったのです。

この個人的な困難と、国が抱える絶望的な危機。それらが、いかにして彼を偉大な思想家へと導く、宿命の第一歩となったのでしょうか。

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2. 思想の源流と、運命のライバル

祖国を救うための知恵を求め、韓非は当時の著名な思想家であった荀子(じゅんし)の門を叩きます。荀子は、「人間の本性は悪である(性悪説)」と唱え、欲望に満ちた人間の本性を、礼儀や学問によって正していくべきだと考えていました。

この荀子の下で、韓非は一人の学友と出会います。彼の名は李斯(りし)。後に韓非の運命を大きく左右する、生涯のライバルとなる人物です。同じ師から学びながらも、二人の学問への動機は、光と影のように対照的でした。

人物背景と学問への動機
韓非韓の王族。滅びゆく祖国を救うという、純粋な使命感から学問を志す。
李斯平民出身。役人時代、「便所のネズミは汚物を食べ人に怯えるが、食料庫のネズミは穀物を飽食し悠々と暮らす。人間の価値も環境次第だ」と悟る。劣悪な環境から抜け出し、自らの野心を満たすためになりふり構わず学問を志す。

国の未来を憂う王子と、自らの野望を追い求める平民。光と影のように対照的な二人の運命は、やがて歴史の大きな舞台で、最も残酷な形で交錯していくことになります。

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3. 祖国への提言と、深まる絶望

学問を修め、故郷の韓に戻った韓非が目にしたのは、かつての輝きを失い、敵国である秦の侵略に怯える祖国の姿でした。彼の心に宿ったのは、悲しみよりもむしろ、燃え盛るような怒りだったのです。

彼はすぐさま韓の国王に対し、「厳格な法律を整備し、有能な人材を登用して国を強くすべきだ(富国強兵)」という内容の意見書を、何度も繰り返し提出しました。

しかし、国王は韓非の言葉に全く耳を貸しませんでした。王の周りを固めていたのは、口先だけで王に媚びへつらう者たちばかり。正しく、厳しい意見は、ことごとく無視されたのです。

国が滅びゆく一大事に、なぜ正しい意見が聞き入れられないのか。 なぜ国王は、口先だけの者たちに権限を与え、言いなりになっているのか。

抑えきれない怒りと絶望は、韓非の思想をさらに鋭く、現実的なものへと研ぎ澄ませていきました。彼の怒りは、数々の論文を書き上げる原動力となったのです。

皮肉なことに、祖国では誰にも届かなかった彼の魂の叫びは、やがて国境を越え、敵国である秦の王の心に届くことになります。

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4. 才能の発見と、悲劇の始まり

韓非が怒りと絶望の中で書き上げた数々の著作は、いつしか敵国である秦へと伝わりました。そして、当時秦の国王であり、後に始皇帝となる若き野心家・嬴政(えいせい)の目に留まります。広大な天下を目指す王の目に、滅びゆく小国から生まれたその思想は、雷のような衝撃を与えました。論文を読み終えた嬴政は、こう叫んだと伝えられています。

「これを書いたものは誰だ。このものに会い、語り合うことができれば、私は死んでも悔いはない。」

その時、嬴政の側近の一人が答えました。「この書物を著したのは、韓の公子である韓非という男でございます」。その声の主こそ、かつて韓非と共に学んだ同門の李斯でした。彼は望み通り立身出世を果たし、秦王の側近となっていたのです。

韓非に会いたい一心で、嬴政は常軌を逸した行動に出ます。韓に対して猛攻撃を仕掛け、和平交渉の使者として韓非を秦へ派遣するよう要求したのです。こうして、嬴政は念願であった韓非との対面を果たし、大いに喜んだと言います。

しかし、輝かしい才能が認められ、ついに歴史の表舞台に立った韓非を待ち受けていたのは、栄光ではありませんでした。それは、かつての学友が周到に仕掛けた、嫉妬と裏切りの罠だったのです。

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5. 裏切りと、非業の最期

李斯は、荀子の下で学んでいた頃から、韓非の才能が自分を遥かに超えていることに気づいていました。彼は、このままではいずれ韓非に王の寵愛を奪われ、自分の地位が危うくなると恐れたのです。

そこで李斯は、嬴政にこうささやきました。

  • 「韓非は韓の王族です。心の底から秦のために働くでしょうか。結局は祖国を第一に考えるに決まっています。」
  • 「彼をこのまま韓へ帰せば、その優れた知恵は将来、必ずや秦にとって大きな災いとなるでしょう。」
  • 「最も得策なのは、彼に罪を着せ、今ここで始末してしまうことです。」

この讒言(ざんげん)を信じた嬴政は、韓非を投獄してしまいます。 そして、牢獄にいる韓非のもとへ、李斯は使いを送り、毒薬を届けさせました。「私に死ねと…」。それは、自ら死を選べという、あまりにも無慈悲な宣告でした。

無実の韓非は、必死に弁明の機会を求め、嬴政との面会を訴えましたが、その願いが聞き入れられることはありませんでした。

しばらくして、嬴政は韓非への処罰を後悔し、彼を牢獄から出すよう使いを送りました。しかし、時すでに遅く、韓非はすでに毒をあおぎ、その生涯に自ら幕を下ろしていたのです。

こうして、悲劇の天才思想家は、誰にもその真意を伝えることができないまま、異国の地で非業の死を遂げました。しかし、韓非という人間は死んでも、彼が遺した思想は生き続け、これから歴史を大きく動かしていくことになるのです。

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6. 韓非が遺したもの:人間不信の哲学

大変皮肉なことに、韓非の死後、彼が遺した著作『韓非子』は、秦が天下を統一するための理論的な支柱となりました。

そして、韓非を死に追いやった李斯もまた、後に権力争いの陰謀に巻き込まれます。彼は宦官の趙高に陥れられて投獄され、獄中から無実を訴えましたが、その声は誰にも届かず、全て握りつぶされました。かつて自らが韓非に与えた以上の苦しみを受け、悲惨な最期を遂げたのでした。

韓非が生涯をかけて紡ぎ出した思想の核心は、彼の人生そのものを反映しています。

  • 人間不信の哲学 裏切りが日常茶飯事の戦国時代、「人を信じること」は死に直結する。この思想は、かつての学友である李斯から毒薬を渡された、彼の絶望的な体験そのものでした。
  • 人は「利」で動く 人間を動かす原動力は愛情や思いやりではなく、自分にとってプラスになるか(利益)どうかである。彼はそれを、媚びへつらう者だけを重用した韓の宮廷で、そして自らの野心のために友を売った李斯の姿に見ていました。ここでの「利益」とは、富や権力だけでなく、「心地よい」といった精神的な満足も含まれます
  • 厳格な法治主義 人の曖昧な感情や主観ではなく、誰にでも公平な「厳格な法律」によって国を統治すべきだという主張。これは、正しい進言に耳を貸さず、私情で国を滅びへと導いた祖国の王への、痛切なアンチテーゼでした。

彼の思想は一見すると非常に冷徹に聞こえるかもしれません。しかしその根底には、どうすれば社会の秩序を保ち、国を安定させられるのかという、彼の切実な願いが込められていたのです。

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結論:悲劇の天才が現代に問いかけること

韓非の生涯は、類まれな才能を持ちながらも、それを正しく生かすことができずに終えた、悲劇の物語でした。

しかし、彼の思想は個人の運命を超え、『韓非子』という一冊の書物としてこの世に残りました。そして2000年以上もの間、組織の中で生きる人々、厳しい競争社会を生き抜こうとする人々にとって、一つの道しるべとなり続けています。

彼の人生と哲学は、現代の私たちに問いかけます。 「理想だけでは渡ることのできない厳しい現実を、あなたはどう生きるのか」と。 この普遍的な問いにどう向き合うか、そのヒントは、韓非が遺した言葉の中に今もなお息づいているのかもしれません。

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