「また今日も会議で誰も反対意見を言わなかった…」「この戦略、本当に正しいのかな?」
もしあなたがこんな違和感を職場で感じたことがあるなら、それは決してあなただけの問題ではありません。実は、その違和感の正体は、80年前の太平洋戦争にまで遡る、日本的組織の「DNA」に刻まれた構造的な問題なのかもしれません。
今日は、40年以上読み継がれてきた名著『失敗の本質』をもとに、日本の組織がなぜ変われないのか、その心理学的なメカニズムを一緒に紐解いていきたいと思います。
『失敗の本質』って、どんな本?
この本は1984年に出版されて以来、多くの経営者やビジネスパーソンに読まれ続けている組織論の古典です。
著者たちが着目したのは、太平洋戦争における日本軍の敗北を「単なる国力の差」としてではなく、組織の構造的な欠陥として分析すること。ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルなど6つの作戦の失敗を丹念に追いながら、そこに共通する「日本的組織の弱点」を浮き彫りにしています。
興味深いのは、この本が軍事史の本ではなく、現代の私たちへの警鐘として書かれていること。「これを現代の組織にとっての教訓あるいは反面教師として活用すること」が最大の狙いだと、著者たちは明言しています。
では、なぜ戦争の話が現代の私たちに関係があるのでしょうか?
日本の株価が30年間停滞した理由
少し驚くかもしれませんが、日本の株式市場は1989年の最高値を30年以上も超えられませんでした。その間、世界の時価総額ランキングはアメリカ企業が独占し、日本企業は徐々に存在感を失っていきました。
これは決して「日本人が怠けていた」からではありません。むしろ、日本人は世界一勤勉だと言われているほどです。
問題は組織の在り方そのものにあったのです。そして驚くべきことに、その問題の多くは、太平洋戦争における日本軍の失敗と驚くほど似ているのです。
ケーススタディ:ガダルカナルが教えてくれること
具体的な事例を見てみましょう。ガダルカナル作戦は、日本軍の組織的欠陥が最も凝縮された戦いと言われています。
何が起きたのか?
1942年、太平洋の小さな島・ガダルカナル島に米軍が上陸しました。第一報を受けた大本営の参謀たちの中に、島の名前を知っている人が一人もいませんでした。
希望的観測から「敵の兵力は大したことない」と判断し、少人数の部隊を送り込みます。結果は壊滅。それでも戦術を変えず、同じ方法で次々と兵士を送り込み続けました。
最終的な結果:
- 投入兵力:約3万2千人
- 死者:約2万1千人(損耗率7割)
- 対する米軍の戦死者:約1千人
作戦担当者は後に「まるで鉄の壁に卵を投げているようだった」と振り返っています。
心理学的に見ると:埋没コスト効果の罠
ここで働いているのは、心理学で言う**「埋没コスト効果(サンクコスト・バイアス)」**です。
すでに投資してしまったもの(兵力、時間、お金)を無駄にしたくないという心理から、明らかに失敗している戦略でも継続してしまう。「ここまでやったんだから、今さら引けない」という心理です。
現代の企業でも、赤字プロジェクトに「すでに億単位の投資をしているから」という理由だけで追加予算をつけ続ける例は後を絶ちません。合理的に考えれば撤退すべき時でも、感情がそれを許さないのです。
さらに深刻なのは、「確証バイアス」も働いていたこと。最初に「敵は少数だろう」と判断してしまうと、その後の情報もすべて「やはり少数に違いない」という形で解釈してしまう。都合の悪い情報は無視されるか、軽視されるのです。
失敗パターン①:ゴールが見えない組織
ミッドウェー作戦の二重目的
ミッドウェー作戦では、日本軍の目的は「ミッドウェー島を攻略すること」と「出現する敵艦隊を撃滅すること」の二つがありました。
一方、米軍のニミッツ提督は目的を**「日本の空母群の撃滅」一点に絞り**、「空母以外には手を出すな」と明言していました。
結果は歴史が証明する通りです。
心理学的解釈:目標設定理論と認知的不協和
心理学者エドウィン・ロックの**「目標設定理論」**によれば、明確で具体的な目標は、曖昧な目標よりも高いパフォーマンスを引き出します。
さらに、目的が二つあると**「認知的不協和」**が生じます。「AもBもやらなければ」という心理的負担は、判断を鈍らせ、結果としてどちらも中途半端になってしまうのです。
あなたの会社は大丈夫?
ユニクロの柳井正会長は、こう指摘しています。
「多くの経営者は**『行き先を決めていない』**まま、社員に努力を強いている」
これは現代企業でも非常によく見られる光景です。
- 「売上を上げろ」と「コストを削減しろ」を同時に要求する
- 「イノベーションを起こせ」と「失敗は許されない」を両立させようとする
- 「顧客満足」と「効率化」を区別せずに追いかける
目的が曖昧、あるいは複数あると、現場はどこに力を集中すればいいのか分からなくなります。そして結果的に、**戦略的に重要でない「無駄な勝利」**を積み上げてしまうのです。
失敗パターン②:「空気」が支配する意思決定
インパール作戦の非合理性
インパール作戦では、補給問題を懸念する声に対して、司令官がこう答えました。
「敵に遭遇したら銃口を空に向けて3発撃つと降伏する約束になっている。食料や武器は敵から奪えばいい」
客観的に見れば荒唐無稽な話ですが、誰も反対できませんでした。**その場の「空気」**が、合理的な議論を許さなかったのです。
心理学的解釈:集団思考と同調圧力
これは心理学者アーヴィング・ジャニスが提唱した**「集団思考(グループシンク)」**の典型例です。
集団思考が起きると:
- 全員一致の幻想:異論がないように見える(実際は言えないだけ)
- 自己検閲:疑問を感じても、口に出さない
- マインドガード:リーダーに不快な情報を伝えない「門番」が現れる
- 合理性の欠如:論理より調和が優先される
さらに、日本文化特有の**「高コンテクスト・コミュニケーション」**も影響しています。言葉にしなくても「空気を読む」ことが期待される文化では、明示的な議論よりも暗黙の了解が優先されがちです。
あなたの会社は大丈夫?
会議でこんな光景を見たことはありませんか?
- 誰もが問題に気づいているのに、誰も指摘しない
- 部長の機嫌を損ねないよう、みんなが忖度する
- 「前例がない」という理由だけで新しいアイデアが却下される
柳井会長は「社長が何を考えているかを事前に察知する部下が出世する」企業文化を**「間違い」**と断じています。でも、あなたの周りにも、そういう人はいませんか?
失敗パターン③:学習しない組織
ノモンハンの教訓が活かされなかった理由
1939年のノモンハン事件で、日本陸軍はソ連軍の圧倒的な物量の前に大敗しました。ソ連軍司令官ジューコフはこう評価しています。
「日本軍の兵士は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑固さで戦うが、高級将校は無能である」
この貴重な教訓から何を学んだか? 残念ながら、日本軍は装備の近代化ではなく、さらなる精神論の強調へと傾いていったのです。
心理学的解釈:防衛的メカニズムと学習性無力感
ここで働いているのは、精神分析で言う**「防衛機制」**です。失敗を直視すると自我が傷つくため、無意識のうちに失敗を否認したり、合理化したりする心理メカニズムです。
「装備が劣っていたのではない。精神力が足りなかったのだ」という解釈は、一見前向きに見えて、実は失敗の本質から目を背けているのです。
また、組織心理学の**「学習する組織」理論**(ピーター・センゲ)によれば、真に学習する組織には以下が必要です:
- システム思考:部分ではなく全体を見る
- 自己マスタリー:個人の継続的成長
- メンタルモデルの改善:思い込みを疑う
- 共有ビジョン:組織全体で目標を共有
- チーム学習:対話を通じた集団的学習
日本軍(そして現代の多くの日本企業)は、特に3番目の「メンタルモデルの改善」が苦手です。
「成功の復讐」に気をつけろ
柳井会長は**「成功の復讐」**という言葉でこの現象を説明しています。
一度成功した方法に囚われ、環境が変わっても同じやり方を繰り返してしまう。「これまでこうやってきたから」という過去の成功体験が、変化の足かせになるのです。
心理学では**「機能的固着」**と呼ばれる現象で、一度確立した解決方法に固執し、新しいアプローチを思いつけなくなる状態を指します。
日本企業でよく見られる光景:
- 「前回の企画書のフォーマットを踏襲」
- 「昨年と同じ予算配分」
- 「過去の成功事例の焼き直し」
これらはすべて、学習を止めた組織の兆候です。
失敗パターン④:「達人」に頼る組織、システムを作らない組織
パイロットとミサイルの対比
米軍が未熟なパイロットでも命中させられるセンサー付きミサイルを開発していた頃、日本軍はパイロットの操縦技術を極限まで高める**「鍛錬」**を優先していました。
夜間戦闘でも、米軍がレーダーを駆使する一方で、日本軍は「夜間視力」を持つ特殊な兵士の訓練で対抗しようとしました。
心理学的解釈:内的帰属と自己効力感の罠
これは心理学の**「帰属理論」**で説明できます。
日本的思考は「成功は努力と精神力によるもの」という内的帰属を重視します。一方、欧米的思考は「成功はシステムと環境の最適化によるもの」という外的・システム的アプローチを重視する傾向があります。
内的帰属自体は悪いことではありません。自己効力感を高め、モチベーションを維持する効果があります。しかし、システムや技術による改善を軽視すると、組織全体としての再現性・拡張性が失われます。
「優秀な営業マンの属人的スキル」に依存する企業と、「誰でも使える営業支援システム」を持つ企業、どちらが持続的に成長できるでしょうか?
スケールしない強み
達人に頼る組織の最大の問題は、スケールしないことです。
- その達人が辞めたら?
- その達人が100人いないと事業が成長しないとしたら?
- その達人を育てるのに10年かかるとしたら?
一方、システムや仕組みは:
- コピー可能
- 誰でも使える
- 継続的に改善できる
現代のテクノロジー企業が急成長できるのは、まさにこの「システム思考」があるからです。
失敗パターン⑤:現場を知らないエリートの決断
片道1000kmの出撃命令
ガダルカナル作戦で、参謀本部は基地から1000km離れた地点への攻撃を命令しました。
往復に4〜5時間かかるため、戦闘空域での滞在時間はわずか15分。パイロットは疲弊し、航空隊は壊滅しました。
参謀たちは地図上で距離を測ることはできましたが、実際に飛行機に乗って、その過酷さを体感することはありませんでした。
心理学的解釈:心理的距離と共感性欠如
これは**「心理的距離」**の問題です。
物理的・社会的に現場から離れれば離れるほど、人は抽象的・理論的に物事を考えるようになります(構成解釈レベル理論)。逆に現場に近いと、具体的・実践的に考えます。
参謀たちにとって、兵士は地図上の駒であり、数字でした。その疲労や恐怖は、実感を伴って理解されることはありませんでした。
これは**「共感性の欠如」**とも関連しています。直接顔を合わせない人々に対しては、人は本能的に共感しにくくなるのです。
「言葉を奪った」組織
『失敗の本質』では、**「日本軍の最大の失敗は、言葉を奪ったことだ」**と指摘されています。
自由な議論が許されず、情報が個人や少数のネットワーク内に留まり、組織全体で共有されない。現場の声は上に届かず、上層部の指示は現場の実態を無視する。
あなたの会社は大丈夫?
- 経営会議が現場から物理的に離れたフロアで開かれる
- 役員が現場を訪れるのは年に数回だけ
- 現場の報告書は、上に上がるたびに「問題ない」という表現に変わっていく
- 経営層が「若手の意見も聞いている」と言うが、実際は形だけ
心理的距離を縮めるには、物理的距離を縮めるのが最も効果的です。リーダーが現場に足を運び、現場の言葉で語り、現場の人々と同じ視点で物事を見る。それだけで、組織は大きく変わります。
日本軍と現代企業:驚くほど似ている構造
ここまで見てきた失敗パターンを、現代の企業に置き換えてみましょう。
| 旧日本軍 | 現代企業 |
|---|---|
| 曖昧な戦略目的 | ビジョン不在のまま売上目標だけ追う |
| 精神主義・根性論 | 「気合で乗り切れ」の長時間労働 |
| 「空気」による意思決定 | 誰も反対意見を言わない会議 |
| 過去の成功体験への固執 | 「前例踏襲」の企画書 |
| 学習しない組織 | 失敗を個人の責任にして終わり |
| 現場からの乖離 | 現場を知らない経営層の指示 |
| 個人技への依存 | スーパー営業マンに頼る組織 |
驚くほど似ていませんか?
柳井会長は、多くの日本企業が「サラリーマン社会」になってしまったと指摘します。本来は全員が「最高経営者のつもり」で仕事をするべきなのに、上の言うことを聞く「武士」のようになってしまった、と。
では、どうすれば変われるのか?
ここまで問題点を指摘してきましたが、「じゃあどうすればいいの?」という疑問が湧いてくると思います。
① 目的を明確にする(そして書き出す)
「何のために、この仕事をしているのか?」
この問いに、あなたはクリアに答えられますか? あなたのチームメンバーも同じ答えを言えますか?
心理学的ポイント:目標は具体的で、測定可能で、書き出されていることが重要です(SMART目標)。頭の中だけにある目標は、曖昧になりがちです。
② 「空気」を壊す仕組みを作る
- 会議で必ず一人は「反対意見係」を任命する
- 匿名で意見を集めるツールを使う
- 「失敗した人を褒める」文化を作る(失敗から学んだ教訓を共有した人を評価する)
心理学的ポイント:集団思考を防ぐには、構造的な介入が必要です。「もっと自由に意見を言おう」という掛け声だけでは変わりません。
③ 失敗を記録し、共有する
- プロジェクトごとに「振り返り会」を必ず実施
- 失敗事例を匿名化してデータベースに蓄積
- 「同じ失敗を繰り返さない」ことを評価指標に
心理学的ポイント:失敗を個人の問題ではなく、組織の学習機会として扱うことで、心理的安全性が生まれます。
④ システム化できるものは徹底的にシステム化する
- 属人的な業務をマニュアル化
- ツールやテクノロジーで代替できるものは代替する
- 「達人の暗黙知」を「形式知」に変換する
心理学的ポイント:人は限られた認知資源しか持っていません。単純作業をシステム化することで、創造的な仕事に集中できます。
⑤ リーダーは現場に行く
- 経営層が定期的に現場を訪問
- 「報告書」ではなく「対話」で情報を得る
- 現場の言葉で語り、現場の視点で考える
心理学的ポイント:心理的距離は物理的距離と密接に関連しています。顔を合わせるだけで、共感性は大きく高まります。
「論理的戦略」と「帰納的戦略」
最後に、もう一つ重要な視点を共有します。
日本の戦略は「帰納的戦略」を得意とします。つまり、個々の事例を集めて共通点を見出し、一つのやり方を洗練させていく。これは、改善(カイゼン)には非常に適しています。
しかし、環境が激変する現代では、「演繹的戦略」、つまり全体から考えて大きなブレークスルーを生み出すアプローチも必要です。
心理学的には:
- 帰納的思考:経験ベース、リスク回避的、漸進的改善
- 演繹的思考:理論ベース、実験的、破壊的革新
どちらが優れているという話ではありません。両方のバランスが大切なのです。でも、多くの日本企業は帰納的思考に偏りすぎているかもしれません。
まとめ:80年前の教訓は、今も生きている
『失敗の本質』が私たちに教えてくれるのは、組織の失敗は個人の能力ではなく、構造とシステムの問題だということです。
日本軍の兵士は勇敢でした。パイロットは熟練していました。でも、組織としての戦略、学習能力、意思決定プロセスに致命的な欠陥がありました。
そして驚くべきことに、その構造的欠陥は現代の日本企業にも色濃く残っています。
でも、だからこそ希望があります。
構造の問題は、構造を変えれば解決できるからです。個人の「やる気」や「根性」に頼るのではなく、システムと仕組みを変えることで、組織は劇的に変われる可能性があります。
あなたの職場で、今日から変えられることは何でしょうか?
- 会議で一つでも「本音」を言ってみる?
- チームの目的を改めて確認する?
- 小さな失敗を共有してみる?
80年前の教訓を、今日の一歩に変えてみませんか?
参考文献
- 『失敗の本質:日本軍の組織論的研究』戸部良一ほか著
- 柳井正氏のコメント(ファーストリテイリング会長)
あなたの職場にも当てはまることはありましたか? よければコメント欄で教えてください。一緒に、日本の組織を少しずつ変えていきましょう。


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